Thursday, March 14, 2013

"A to Z wonderland" by Hiromi Nomurajima



アルファベットのひとつひとつが主役のシリーズ 、"A to Z wonderland"を作ってみました。

どうぞご覧くださいませ。































































































































































All rights reserved by Hiromi Nomurajima








Tuesday, August 28, 2012

マックイーンの夏

約2年間のインターンを終えてメトロポリタン美術館を去るとき、私の上司が2冊の本を送ってくれた。


1冊は当時携り、2011年11月に再オープンしたイスラムギャラリーのカタログ、もう1冊は夏に期間限定で展示されていたアレキサンダー・マックイーン展のカタログ。


今日久々にそのカタログを手に取り、展示会場を度々訪れた去年の夏を思い出す。


141年というメトロポリタン美術館の歴史の中で歴代8位、661509人という観客数誇るアレキサンダー・マックイーン展”Savage Beauty”、すべての奇跡が重なり合って起こった偉業に違いない。



"It is important to look at death because it is a part of life. It is a sad thing, melancholic but romantic at the same time. It is the end of a cycle - everything has to end. The cycle of life is positive because it gives room for new things."
”人が死を見つめるのは大切な事だ。なぜなら死は生の一部だから。それは哀しくて切ない、だけど同時にロマンティックでもある。すべての循環の終わりは、実はポジティブの象徴。それは、終わりによって新しいものが生まれる奇跡を呼ぶから”




そして彼は、伝説となった。










Tuesday, August 14, 2012

ムーミンの生みの親























皆さんはこの女性をご存じだろうか?

彼女は、日本で大人気のキャラクター、ムーミンの生みの親トーベ・ヤンソン。

母国フィンランドではもちろん、世界中から愛されているムーミンは、彼女が描いていたイラストにある日ひょっこり現れ、今では誰もが知る人気漫画の主人公になった。

無人島での島暮らしを物語の参考にしたり、生涯独身、孤独を愛したトーベは自身を漫画家/イラストレーターよりも、画家/アーティストと認識していた。

そんな彼女は何冊かの小説を残している。その中でも”誠実な詐欺師”は私のお気に入り。
北欧という雪に覆われた閉鎖的な世界での、これまた閉鎖的な人々の営み。描写のあちらこちらから北の暮らしが伺える。

私は彼女の作品、世界観、生き方が大好き。2014年の生誕100周年までには、フィンランドに行ってみたいなあ。


Saturday, August 11, 2012

奈良美智個展@横浜美術館

アーティスト奈良美智が横浜美術館で2度目の個展を開催すると聞いて足を運んだ。


横浜美術館は割りと遠いので、”このアーティストのなら観たいな”と思わなければ滅多に足は向かない。正直、世界的に有名になった奈良氏の作品に、今までそんなに心を奪われた事はなかった。今回は反核運動での奈良氏のツイートや、作品を通しての"NO NUKES"のメッセージで彼の作品や彼自身に興味を持ったのである。


実物の作品たちを目にして、私の心は動いた。


彼の繊細で、かつ力強い作品は観る者を魅了する。特に油彩の色使いは、現実と幻想の世界の狭間に立っている様、いつまでも眺めていたくなる。




”奈良美智個展:君や僕にちょっと似ている”
横浜美術館 2012/7/14-9/23








































(横浜美術館エントランス内にて)



Memo:2011年2月より"NY ART NOW"というブログタイトルで続けていました私野村島弘美のブログですが、この度ブログ名を"Art & Things"に変更致しました。これからはニューヨークに限らずさまざまな土地で触れ合うアートや事がらを、私なりに綴っていきたいと思いますので、どうぞ皆様お付き合いくださいませ。

Tuesday, February 7, 2012

野村島弘美NY個展、ソニア・ゲチトフギャラリー Vol.3

アートで表現をするのに制限はない。
制限がないが為に、沢山のアーティストが少なからず混乱する。



自分と、自分が表現したいものに一番相応しいミディアム(素材)はなんなのだろうと。



私自身数年の間油絵で表現してきた。しかし昔から、一番自分が惹かれるのはラインを使った表現方法。古典的な油絵表現とはとても異なったものだ。



そんな時、私のメンター(師)、NY在住アーティスト、ロバート・クシュナー氏が”弘美のラインには何か特別な魅力がある。それをもっと引き出すべき”と助言してくださった。



何かが吹っ切れた時だった。



以来、様々な表現方法に挑戦しているが、今のところ中心となっているのは線での表現である。




































"Pure Land - roku"
高さ15インチ(38.1cm)、幅24インチ(60.96cm)





朽ちていく百合の花を自宅のスタジオで描いた。アクリル絵の具を使って線で表現している。この青は、何色もの青を混ぜ合わせて創った色で、生けるものが無垢な姿のままで朽ちていく美しさ、その儚さを表現したかった。





































"Pure Land - go"
高さ24インチ(60.96cm)、幅32インチ(81.28cm)




群れをなした鹿たちが一斉にこちら側を見ている、その上には光った黄金の果実がたわわに実る。この作品は、前の作品と対照的に、生き物の繁栄を祝う気持ちで描いた。やっと訪れた春の日の様に、様々な生命が躍動している。













































"Pure Land - shici"
高さ18インチ(45.72cm)、幅12インチ(30.48cm)



この作品に使われている8画の模様、実は私の祖母が編んだレースをトレースしたものである。私にとって思い入れのあるこの模様を使って創ったこの作品のイメージは、教会に入った時に見上げた正面のステンドグラス。




このシリーズは"Pure Land"パネルシリーズで、3つとも両サイドに蝶番が付いていて扉が閉じる仕組みになっている。当然閉じた時にも作品として展示できる様、rokuにはフランス製の白いタッセルが扉の外側に、goにはドローイングが施され、そしてshiciは扉を閉じると金箔の絵柄が浮かび上がる様になっている。




このシリーズ制作を思いたったのは、留学先のフィレンツエ、そしてインターンとして働いていたメトロポリタン美術館で中世イタリアの宗教芸術品を観た際である。




私の目を引いたのは移動時にも簡単に持ち運びできる、ポータブル式の芸術作品たち。布教活動の際にも役立ったであろうその作品たちは、扉が開き大きな面積ができると”受胎告知(キリスト教でよくある絵画のシーン)”など、ストーリー性のある作品が描かれ、裏側には中央にキリストの顔、両サイドの扉にそれぞれ家紋、旗が描かれていた。




作品としても美しく機能性にも優れたそれらに、私は魅了されたのである。













































"The Place We Belong - night1"
縦24インチ(60.96cm)、横18インチ(45.72cm)































"The Place We Belong - white lake"
縦12インチ(30.48cm)、横13インチ(33.02cm)




上の2点も、祖母のレースを元にプリントしたものである。night1の方は黒のインクが紙の白さを引き立ててはっきりとしたコントラストが出ている。white lakeはエンボスというテクニックで、レースの形をプレス機の圧力を使って紙に写し取った。残念ながら写真では解りにくいが、面白い質感が出ている。
















































"Benevolent Neutrality (self-portrait)"
高さ15インチ(38.1cm)、幅13インチ(33.02cm)、奥行き12インチ(30.48cm)




"Benevolent Neutrality"、日本語で”好意的中”と題したこの彫刻は、結果的に私にとってとても思い入れのある作品となった。初めて経験した粘土での形作り、そしてキャスト(粘土を元に型を作り中に石膏やブロンズなどを流し込む作業)。予想以上に楽しく、同時に大変な作業だった。




母性愛をテーマにしたこの作品は私の自画像でもある。両手のひらを優しく広げた上には、4本足の動物の親子が佇む。生命の誕生の素晴らしさと、私たち祖先へのリスペクトがこの作品を創るモチベーションとなった。




































奥左"Nyorai - j"、奥右"Nyorai - h"
共に縦40インチ(101.6cm)、横26インチ(66.04cm)








"The Place We Belong - forest"
それぞれ高さ3インチ(7.62cm)、幅5インチ(12.7cm)、奥行き1.5インチ(3.81cm)





今回はニューヨークで3年ぶり2度目の個展となったが、前回以上に日本人としてのアイデンティティーを意識したものとなった。アメリカという遠く離れた土地で暮らす事で見えて来る母国日本、目覚める愛国心。




2012年日本に帰国した私は、ここで新しい生活をスタートした。住み慣れたアメリカ、ニューヨークを離れた事でこれから気づく事も多いのかと思う。どんな時も自分の気持ちに正直に、表現を続けていければ幸いである。




最後に、今回の個展オープニングをまとめた動画を観て少しでも野村島弘美NY個展を感じで頂けたらと思う。ご高覧ありがとうございました。





Saturday, February 4, 2012

野村島弘美NY個展、ソニア・ゲチトフギャラリー Vol.2


































まず最初にギャラリーをどのような空間にしたいか考えた。




訪れた人が一歩足を踏み入れた際に、教会や寺院に入った時の様な神聖な気持ちになってもらえる様にと、平面作品の位置、立体作品用のペテストロフ(作品を置く台)の形そして位置を慎重に決めた。




大小合わせて13点の作品は、それぞれのあるべき位置に収まらなくてはならない。
お互いを引き立てあい、邪魔にならない位置を慎重に探す。




今回の展示でメインとなったのは4点の平面作品。個展のタイトルと同じく"Pure Land"と名付けられた作品たちはどれも木にコンテで直接描き、金箔を施したものである。当初は部分的に油絵の具で着色を施そうと考えていたが、よりラインの強さを引き出すために下書きが終わった時点で変更したのである。















































"Pure Land - ni"
高さ55インチ(139.7cm)、幅36インチ (91.44cm)




この作品では、頭部を布で隠した女性が雄鹿に股がっている。女性は一糸まとわぬ姿で優しく雄鹿に掴まる。雄鹿は女性とは対照的に、そのびっしり生えた毛と逞しい角を持ち、圧倒的な存在感で目の前のものを魅了する。でもその目には威嚇的なものはなく、極めて静かな瞳でこちら側を見据える。




私はこの作品を通して2つの生物の間に生まれる親密な関係性、そして肉体の美しさを表現したかった。過去7年間に渡って、人物デッサンを続けてきた際に目の当たりにした人体の神秘的な美しさを共有したかったのである。




他の作品にも共通するが、女性の頭部を布で覆ったのは、そうする事で女性の人種やあらゆる背景を指定しないためである。誰もがこの女性になりえるのである。














































"Pure Land - shi"
高さ55インチ(139.7cm)、幅36インチ (91.44cm)




救世主の様に現れた中心の人物は、何かを示す様に左人差し指で天を指している。足下には
二匹の狼を従え、その一匹は鋭いまなざしでこちら側の様子を伺う。太い小指に巻かれた数珠は、人物が何かの信仰を持っている様に示される。




私は渡米するまで、数珠というのは主に仏教徒のみが使用するものだと思っていた。ところが、のちに世界三大宗教全てで使われていること、ロザリオ(キリスト教徒が使用する数珠)が仏教徒の数珠に類似していることに驚いた。似ているのは見た目だけではなく、お念仏を一回唱える度に一回弾くところも良く似ている。




天から舞い降りて来た者に相応しく、人物の周りには金箔が貼られている。これも私が大切にしたディテールで、絵の具ではなく本物の金をあえて使用した。




この作品では生命の強さと、マスキュリンさ、そしてガーディアン(守護者)の存在の可能性を描いている。人はお互い守り、守られて存続できるのではないだろうか。
















































"Pure Land - ichi"
高さ55インチ(139.7cm)、幅36インチ (91.44cm)




この作品は私が長年続けてきているヨガのポーズにインスパイヤされ、製作した作品である。一組の腕はシークレット・プレイヤー(背中中央で手を合わせる)ポーズをして静かな祈りを表現、もう一組の腕は胸を大きく広げて何事をも受け入れる心構えができている事を表現している。




人物の周りで慌ただしく中を舞う6羽のニワトリたちは、恰も人物の祈りに影響されて興奮しているようだ。



私は昔からニワトリという動物に惹き付けられた。その色や形、羽の感触は美しく、そして良く観察すると1羽1羽まったく異なった顔つきと表情があるのも面白い。



この作品では時に私たちの意思とは別に反応する煩悩を表現したかった。















































"Pure Land - san"
高さ55インチ(139.7cm)、幅36インチ (91.44cm)





3羽の白鳥に股がり金の波に乗って現れた人物。勇ましく登場した彼の頭部もたっぷりの布で覆われている。白鳥はその特徴的な長い首を盛んに動かし、進むべき道を模索している。




この作品では特に、土台となる木の木目がドローイングをどう引き立ててくれるかを考えた。木も、私が幼い頃から惹き付けられてきたものの一つである。このシリーズを制作するにあたって、まず”木に描きたい”という発想から全てが始まった様に思う。




世界中に水にまつわる神は存在する。この作品は彼らの力強い存在感、神秘性に影響されて描いたものである。




(Vol.3につづく)

Thursday, February 2, 2012

野村島弘美NY個展、ソニア・ゲチトフギャラリー Vol.1

約10年間滞在し、私にとっての第2の故郷となったニューヨークを離れてから今日で2ヶ月がたった。年末年始のお祭り気分も抜け、希望と多少の不安の混じった気持ちでこの日を迎えている様に思う。



ニューヨークを発つ直前の2011年11月3日から22日まで開催された私のニューヨークで2度目の個展を、ゆっくり振り返る事もできなく駆け足で今日まできてしまった。そこで、今回はこの"NY ART NOW"の場を借りて振り返ってみたい。



思えば、2007年の夏期にイタリアのフィレンツエに奨学金を得て滞在したのが、私の今回の個展のテーマ"Pure Land"を決めたきっかになったのではないだろうか。沢山の方がご存じの様にイタリアという国は中世、ルネッサンス、そしてバロークと、長い間数多くの芸術作品を生み出し、ことにフィレンツエでは、メディチ家という富豊かなパトロンの元でミケランジェロやレオナルドなど、名だたる芸術家たちがこぞって才能を競い合った。



21世紀の今日でも、そんな彼らの芸術作品が街のいたる所で見られ、世界中の芸術を志す者を魅了して止まないフィレンツエの、私も例外なく虜になってしまったのである。






















朝食を済ませると、携帯用イーゼルとスケッチブックを持って美術館に出かける。
前もって許可をもらっていた美術館での模写のために、ミケランジェロのリリーフ彫刻の前に陣取る。ヘッドフォンを付けてひたすら作品を模写する。単なる写しで終わらない様に、神経を集中させ、ミケランジェロの創作経緯をたどっていく。そして表情や指先の動きなど、僅かな感情表現を見逃さない様にする。



美術史教授のもと、作品の歴史的背景を学ぶ。できるだけ沢山の価値ある芸術品を観ようと心がける。もちろん土地のワインや食べ物も沢山味わう。



そんなフィレンツエでの芸術作品に触れる毎日で、私はある決定的な事に気づかされた。



それは”歴史ある西洋の宗教芸術に出会う事で強く思い出される仏教芸術の再発見”である。



人間には、その人の育ってきた環境が密接に関係し、そして深く影響しているのではないだろうか。10代の頃から海外に興味を持ち、20代初めに日本を後にした私は、寺院で生まれ育ったのにも関わらず当時さほど仏教に関心は涌かなかった。しかし、毎日の寺院での暮らしやお務めの際の心情は不変的な存在感で私の中にあり、去る事はない。そしていつしか仏教/仏教芸術を尊ぶ気持ちに変化した。



"Pure Land"とは日本語で”極楽浄土”の事を意味する。仏教浄土宗の教えで、人は”南無阿弥陀仏”と念仏を唱えると、西の彼方の極楽浄土へと阿弥陀様に導かれるという、そのお浄土の事である。



私はそこに”救い”がある事に共感し、それを私なりに表現したいと思った。もちろん私という人間は10年住んだ西洋文化にも多大な影響を受けておりそれを否定する事はできない。
そこで今回のニューヨークでの個展では”救いのある宗教芸術”をテーマに制作したいと考えたのである。



(Vol.2につづく)