Thursday, February 2, 2012

野村島弘美NY個展、ソニア・ゲチトフギャラリー Vol.1

約10年間滞在し、私にとっての第2の故郷となったニューヨークを離れてから今日で2ヶ月がたった。年末年始のお祭り気分も抜け、希望と多少の不安の混じった気持ちでこの日を迎えている様に思う。



ニューヨークを発つ直前の2011年11月3日から22日まで開催された私のニューヨークで2度目の個展を、ゆっくり振り返る事もできなく駆け足で今日まできてしまった。そこで、今回はこの"NY ART NOW"の場を借りて振り返ってみたい。



思えば、2007年の夏期にイタリアのフィレンツエに奨学金を得て滞在したのが、私の今回の個展のテーマ"Pure Land"を決めたきっかになったのではないだろうか。沢山の方がご存じの様にイタリアという国は中世、ルネッサンス、そしてバロークと、長い間数多くの芸術作品を生み出し、ことにフィレンツエでは、メディチ家という富豊かなパトロンの元でミケランジェロやレオナルドなど、名だたる芸術家たちがこぞって才能を競い合った。



21世紀の今日でも、そんな彼らの芸術作品が街のいたる所で見られ、世界中の芸術を志す者を魅了して止まないフィレンツエの、私も例外なく虜になってしまったのである。






















朝食を済ませると、携帯用イーゼルとスケッチブックを持って美術館に出かける。
前もって許可をもらっていた美術館での模写のために、ミケランジェロのリリーフ彫刻の前に陣取る。ヘッドフォンを付けてひたすら作品を模写する。単なる写しで終わらない様に、神経を集中させ、ミケランジェロの創作経緯をたどっていく。そして表情や指先の動きなど、僅かな感情表現を見逃さない様にする。



美術史教授のもと、作品の歴史的背景を学ぶ。できるだけ沢山の価値ある芸術品を観ようと心がける。もちろん土地のワインや食べ物も沢山味わう。



そんなフィレンツエでの芸術作品に触れる毎日で、私はある決定的な事に気づかされた。



それは”歴史ある西洋の宗教芸術に出会う事で強く思い出される仏教芸術の再発見”である。



人間には、その人の育ってきた環境が密接に関係し、そして深く影響しているのではないだろうか。10代の頃から海外に興味を持ち、20代初めに日本を後にした私は、寺院で生まれ育ったのにも関わらず当時さほど仏教に関心は涌かなかった。しかし、毎日の寺院での暮らしやお務めの際の心情は不変的な存在感で私の中にあり、去る事はない。そしていつしか仏教/仏教芸術を尊ぶ気持ちに変化した。



"Pure Land"とは日本語で”極楽浄土”の事を意味する。仏教浄土宗の教えで、人は”南無阿弥陀仏”と念仏を唱えると、西の彼方の極楽浄土へと阿弥陀様に導かれるという、そのお浄土の事である。



私はそこに”救い”がある事に共感し、それを私なりに表現したいと思った。もちろん私という人間は10年住んだ西洋文化にも多大な影響を受けておりそれを否定する事はできない。
そこで今回のニューヨークでの個展では”救いのある宗教芸術”をテーマに制作したいと考えたのである。



(Vol.2につづく)


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