先週の木曜日、5月5日にメトロポリタン美術館1階のオーディトリアムルームで、
アーティスト、フランク・ステラ氏と、同じくアーティスト、フォアン・ヨン・ピン氏との対談があった。
対談と言っても、二人のアーティストの距離(実際的な距離ではなく、あくまでも気持ちの距離的なもの)は大きく、2名の仲介人が間に入って質問を投げかけていく形であった。
私は興味の全てを、ビックネーム”フランク・ステラ”に100%注いでいて、もう一人のアーティスト、中国人のフォアン氏の事はまったく知らなかった。
会場を見渡せば、ニューヨークのアッパークラスの人々、アートクリティーク関係者、美術学生と見られる若者の集団、そして私の様なnon-American としてアーティスト活動をしている者と実に様々な人々がステージに立つアーティストを見つめていた。
ステラ氏は、おおよそ70代であろうか、少し丸まった背中を椅子にもたれかけさせながら淡々と自分のペースで話す。話のシャープさは年齢をまったく感じさせない。
時代とともに変化して来たステラ氏の作風の中でも、群を抜いて人々の記憶に残っているのが、通称”ブラックペインティング”。
発表された当時は、とても斬新で多くの批評家が”ブラックペインティングの後は何も出すものがないんじゃないの”とコメントしたそうだ。
その後もステラ氏は挑戦を続け、新しい作品を世に送り出して行った。
もう一方のフォアン氏、89年よりパリに在住しているが出身は中国郊外。
年齢は50代であろうか、小柄な男性である。
フォアン氏の発言はすべて中国語で行われ、隣にはトランスレーターが付き添っていた。
けれど、氏は大きなジェスチャーを交え、あたかも私たち観客すべてが中国語を理解するかのように情熱的に話しを続けた。
89年の天安門事件の際国を後にし、パリを拠点にアーティストとして活動を続けているフォアン氏の作品の多くは、時代を反映し、挑戦的である。
特にフォアン氏を世界的に有名にした作品、”二冊の中国語の美術教材を3時間洗濯機であらったチリの山”はとても挑戦的で、コンセプチャルアーティスト、マルセル・ドュシャンプの作品を思い出させる。
フォアン氏の作風は実に幅広い。哲学や社会学、そして過去と現在の社会風刺らを題材にしたものが多く見られる。
砂と少量のセメントを混ぜて創られた建築物。
”作品を残す事が絶対だとは考えない”、氏はそう語る。
フォアン氏の作品に私が共感を覚えるのは、作品の多くが宇宙や自然の壮大さを物語っているからだと思う。
氏は直接、そして間接的にそれらを私たちに伝える。
もうひとつ感じたのは、フォアン氏の言葉はとても率直で、自分の考えにとても素直な事。
どのアーティストも”人脈を、チャンスを自分のものに”としている今日、あえてそのサークルから一歩身を引いた視点を持とうと心がけている様子。それが実は彼と彼の作品の魅力なのかもしれない。
”自分が自分の生まれた環境、年代と違った場所、時代に生まれていたら、私の作品はきっと、今とはまったく違っていたものになっていたでしょう”。
フォアン氏のアーティストとしての柔軟性を表す一言である。